昇給したのに、なぜ不満が残るのか

「社長、少しいいですか」

就業時間が終わり、事務所に残っていたのは山田社長と田中だけだった。

田中は経理の仕事を終えて帰り支度をしていたが、鞄を持ったまま、社長のデスクの前で立ち止まった。

「社長、少しいいですか」
「どうした」

「給料のことなんですが……
今月の明細を見て、正直、もう少し上がるかと思っていたので」

田中は今年入社3年目。ミスは少なく、後輩の面倒もよく見る。
今年の昇給は、社内で一番高くつけた社員だった。それなのに、不満を言ってきた。

山田社長は「そうか、わかった」とだけ言って、その日は終わりにした。

社長は、社労士に電話した

翌朝、山田社長は顧問社労士に電話をかけた。

「田中が給料に不満だと言い出して。うちは相場より払っているつもりなんですが、正直、ちょっと腑に落ちなくて」

「田中さんに、昇給の理由を伝えましたか?」

「……明細を渡せばわかるかと思っていました」

「それが原因かもしれません」

社労士は続けた。
「フィードバックがないと、従業員は給料の金額で自分の評価を測るしかなくなるんです」
「昇給が少なければ『低く見られている』、多くても理由を知らなければ『たまたまだろう』で終わってしまう」

「…………」

「つまり、金額じゃなくて、社長の思いを届けていないのが原因ではないでしょうか」

山田社長は受話器を持ったまま、しばらく黙っていた。

思い当たることがあった

電話を切ったあと、山田社長は田中のことを思い返した。
「よくやった」と声をかけた記憶が、ほとんどない。

忙しかった、というのはある。

でも田中が後輩に丁寧に仕事を教えている場面を見ても、
「助かっているな」と思うだけで、本人には何も言っていなかった。

見ていたつもりで、伝えていなかった。

もう一度、田中を呼んだ

昼休みが終わった頃、山田社長は田中を応接室に呼んだ。
「昨日の話だけど、少し聞いてくれるか」

田中は少し緊張した顔で座った。

「今年の昇給、社内で一番高くつけたのはお前だ」
「後輩の面倒もよく見てくれているし、それだけ仕事を任せられると思ったからだ」
「ただ、そのことをちゃんと伝えてこなかったのは、私の失敗だ」

田中は目を少し丸くして、それからゆっくりとうなずいた。
「……知らなかったです。そう思っていてくれたんですね」

「お前に辞められたら困る。これからも頼む」

田中はそれ以上、給料の話をしなかった。

承認の言葉は、給料より人を動かす

給料は、もらって当たり前になっていく。
上がっても、しばらくすれば「もっと欲しい」になる。

でも「あなたを見ている」という言葉は、じわじわと残る。

コミュニケーションが少ない会社ほど、給料への不満が大きいように感じます。
逆に、給料が高くなくても、社員が生き生きしている会社もあります。

その差は、社長の言葉があるかどうか、だと思います。

給料への不満が出たとき、まず聴いてみてください。
言葉の奥に、本当のことが隠れています。


執筆:埼玉県熊谷市の社会保険労務士・竹内由美子(中小企業の人と職場の課題をサポート)

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